死にたい。生きていたくない。死ぬより辛い。こんな世界で生きていくために僕が考えていること

エッセイ.あの世は極楽浄土。この世は極苦楽浄土。

最近、「死」についてよく考えている。

とは言っても、自分が死にたいわけではない。

たまに、もう生きていたくないと感じることはあるが、今回の場合は「死」そのものについて、よくよく考えているのだ。

死は苦しいのか。

人は死後、無になるのか、それとも世界は続くのか。

考えても答えが見つからない問いを頭に巡らせている僕は、とても暇人なのだろう。

僕個人としては死後は無になるという考えの持ち主だが、仏教の人たちが言うには、極楽浄土という死後の世界があるらしい…

日本にいるなら、誰もが聞いたことがあるはずだ。

阿弥陀仏がいるとされる苦しみのない安楽の世界。西方に十万億土の彼方にあり、まったく苦しみのない安楽な理想の世界。

なるほど!そんな世界があるのなら、今すぐにでも行きたい。

割と真剣にそう思えるほど、僕が今生きている世界は、劣等感、無力感、無価値感で構築されている。

僕が今生きている世界は、苦しみのない世界からはほど遠く、むしろ生きていると苦しみのほうが多い世界だ。

そこで、ふと思う。

もしもあの世が極楽浄土なら、この世の中は極苦楽浄土である、と。

極楽(ごくらく)ではなくて、極苦楽(ごくらく)。

僕の人生を振り返ると、もちろんすべてが苦しかったわけではない。

家族や友人と暮らした楽しい出来事も、もちろんあった。

今振り返っても、その時の幸福感は、自分の中に残っている。

しかし、苦しくて耐えられないと感じることもあった。

よくできる友人や知人に追い詰められて、死ぬより辛い思いをしたこともあった。

今振り返っても、まだ傷口はふさがっておらず、やはり死ぬより苦しい。

この世界は極めて楽しく、また、極めて苦しい。

それが当たり前なのかもしれない。

幸福な人生を目指すのが当然で、不幸な人生が駄目だというのも、僕たちが囚われている思い込みなのかもしれないし、そもそも人生というのは辛いのが当たり前なのかもしれない。

そう思えると、ではこの苦しさも楽しむべきではないかと思えてくるから不思議だ。

酸いも甘いも知り尽くす。

そんな思いで人生を生きていこうじゃないか。

「あの世は極楽浄土であり、この世は極苦楽浄土である」

僕の勝手な造語だが、座右の銘になりそうだ。

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