誰でも自分の心の中に宗教を持つ:「自分の人生を生きる」ために、僕がやっていること

エッセイ.誰でも自分の心の中に宗教を持つ。「自分の人生を生きる」ために、僕がやっていること

自分の人生を生きる。

こんな言葉が世に蔓延っているところをみると、自分がやりたいことではなく、他人に望まれる人生を送っている人がいかに多いかということを痛感させられる。

また、いくら他人の目は気にしなくてよい、と言われても、他人と違うことをする度に「なんで?○○したら?○○やめたら?」と追求や非難にあった日には、なかなか自分を貫ける自信がない人も多いだろう。

そもそも、自分の人生を生きるとは言ってみたものの、「自分の人生」とは一体なんなのだろう。

僕は「自分の人生」について、真剣に考えた。

そうして僕は、「自分の人生を生きるとは、自分の信じる人生を生きる」という意味だという結論を得た。

そして自分の信じる人生の軸を作るという領域は、宗教の領域だなぁと、ふと思う。

日本に生まれた僕らは他国と比べて宗教に対する馴染みが薄い。いや、馴染みが薄いどころか、熱心に宗教活動をしている人を、蔑む風潮すらあるほどだ。

しかし、彼らには教義を元に自分の中に作りあげた人生の軸があり、その軸に沿って生きることによって、自分の人生を生きている。

たとえ誰かからカルト的だと罵られようが、常識から外れようが、構わず自分の人生を貫いている。

口には出さないが、世間的には好奇の目線にさらされている彼らを、僕は少しカッコいいなと考えていた。

そして、神を信じない僕も、自分自身が信じるべき教義のようなものがあれば、彼らと同じように、自分の人生を生きることができるのではないかと考え始め、去年の暮れに、一つの人生の指針が出来上がった。

上記の図が、僕の心の中に出来上がった教義だ。

長くなるが、説明を聞いてほしい。

縦軸は人の問題解決レベルであり、横軸は人類が生きてきた時間だ。

我々からみたら、古代の人間は今より原始的な生活を送っていた。

そして、原始的な生活で発生する問題も、問題解決レベルも、現代人の我々の基準から考えると、取るに足らない単純な問題だろう。

「さすがに全裸では、危険だし恥ずかしい…」

葉っぱなどで隠すという問題解決法を人類は編み出した。

「こんな肉、生じゃ食えねえよ!」

火を使うという問題解決法を人類は編み出した。

そういったことをひたすら繰り返し、そのノウハウを後世に残すことによって、我々は今、原始人が原始的だと思える程度には進化してきた。

しかし、世界にはまだまだ未解決な問題が溢れている。

貧困の問題は未だに解決できていない。

エネルギー問題だって、将来的に持続可能か?といえば持続不可能であり、現在の問題解決レベルでは、エネルギー問題を解決することはできていない。

なので、現代人は皆、何かしらの問題に焦点を当て、それを解決するために日々精進している。

  • この国をもっと良くしたい
  • 貧困女子をなくしたい
  • 環境破壊を防ぎたい

何かしらの問題を見つけ、それを解決することの繰り返しが、人類の歴史と言っても過言ではないだろう。

そんな中、現代に生まれた僕が、何に対して問題意識を持ったか。

それは、「人類の進化のスピードが遅すぎる」という問題だ。

このまま僕が何もしなくても、人類というのは勝手に進歩していくものだから、西暦3000年には貧困問題は解決しているかもしれないし、西暦4000年にはエネルギー問題も解決しているかもしれない。

ただ、それを自分の目で見ることはできないのだ。それが、僕の中ではとても悔しいことなのだ!

昔、就職活動が上手くいかなかった時、「こんなことならバブルの世代に生まれたかったなぁ…」と考えたことがある。

でも、今なら絶対にそんなことは考えないだろう。

バブル世代の人たちにはインターネットが身近に存在しなかったし、私が80歳になった時、バブル世代の人たちは僕が知っている未来を知らないまま寿命がきて、死んでしまう。

こんなに悲しいことはないだろう。

世の中の有名な偉人だって、あんなに名言ばかり吐いているが、結局iPhoneのことは何も知らないまま死んでいる。

僕は今、いつの時代に生まれたいか?と聞かれたら、ほぼ間違いなく「今」生まれたいと言うだろう。

あるいは、もっともっと先の未来に生まれたい。

しかし、それができないので、

人類の進化のスピードを早めて、より先の未来まで見てやろうじゃないか!

と考えたのだ。

これが、僕の心の根っこにある教義であり、僕の行動指針そのものだ。

僕は、朝仕事に行く時、人生に迷った時、必ずこの教義を思い出すだろう。

「人類社会に革命のような変化を起こして、人類を高みに導くために、自分の人生を使うこと。」

人類革新教、とでも呼ぶことにしよう。

余談。人類は皆、世界のことなど何も分かっていない

あなたは、世界とは何か?を考えたことがあるだろうか?

僕にはある。ずっと、この世界とは何か?がわからず、世界に怯えていた。

最終的に下した僕の結論を言うと、結局世界というのはわけがわからない。

自分の死後、世界はどうなってしまうのかと、時々強烈な恐怖に襲われて、むしろ死にたい、殺してくれ、楽にしてくれと考えることが多々あった。

そうして、僕の青春は病んでいるだけで終わってしまった。

今考えると、凄くもったいない人生を送っている。こんなことなら、子孫繁栄のために女子との種付に精を出していたほうがよほど健全だった。

しかし、その頃の経験から、どれだけ考えても世界のことはわからないと身を持って理解できたので、これはこれで良かったとも思っている。

よくよく考えてみると、これは、犬に算数が出来ないことと同じ理屈だ。

犬に算数ができないのは、犬が悪いというよりは、犬の知能の限界だ。

それと同じで、人類に世界が理解できないのは、人類の知能の限界だ。

現段階でどれだけ世界を深く理解しようとも、それは徒労に終わるだろう。

それより今は、人類に変化を起こし、問題解決レベルを向上させ、未来までの道を短縮させることに人生を使いたいと思っている。

僕は現在ライターとして活動しているが、この仕事は人の行動に変化を促すことができ、それが経済活動に変化を起こすことに繋がると考えている。

人々の経済活動に変化を起こすことができると、人を取り巻く環境も必ず変わるだろう。

環境が変われば、人はその環境に適応し、その人自身にきっと変化が訪れる。

世界というのは、一人ひとりの人間が何を考えたかによって出来上がっている。

一人ひとりの人間に変革が起これば、我々が生きている間に、人類にとってのブレイクスルーが起こりそうな気がするのだ。

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