人生が常識かどうかなんてどちらでもよい!「僕が常識を格下げする理由」

エッセイ.人生が常識かどうかなんてどちらでもよい!「僕が常識を格下げする理由」

常識というものがある。

何か人と違うことをすると、すぐに常識を持ち出し「非常識!」となじる人がいるが、太陽が地球の周りをまわっていると言われていた時代に、地球が太陽の周りをまわっていると発言した人間は散々な目にあったわけだから、21世紀の非常識な行いの一部が30世紀では常識になっていることは確実だ。

常識というのはそれくらい意味がなく、場合によって害悪にもなるので、僕の個人的な意見としては、「常識は常に間違っている」と考え、一つずつ噛み付いたほうが、組織や人類の未来のためになると思っている。

しかし、常識に従ってさえいれば、自分は常に多数派に所属することができそれが安心につながるし、たとえ常識が間違っていたとしても「あの時は皆が言っていたから」とでも言えば、責任から逃れることができるので、保身ばかり考える人間にとっては、常識はこれ以上のない強力な武器にもなり得るだろう。

僕にとっては常識を守ろう守ろうとする人間の気持ちがわからないが、人によっては常識を破ろうとする僕の姿を見て、中学生の反抗期が続いているようにみえるのだと思う。

そんな両者の頭を図にしてみた。

上記が、一般的な人生を送る人間の思考だと思う。

人間にはそれぞれ「目標達成志向」というものがある。

自分がどんな家族を作りたいか?という目標達成志向や、もっと究極的な話をすると、自分の人生を何のために費やすか?という目標達成志向が存在するはずだ。

ここでいわゆる常識的な人たちは、目標達成志向を常識思考で覆ってしまっている。

  • 本当は就職ではなく起業に挑戦したいのに、多数派が就職しているところをみて「まずは3年…」とずるずる就職してみる。
  • 自分がどういった家族関係を構築したいかを考えた時、本当は大富豪になり若い女性に囲まれるハーレム帝国を作りたいのに、常識的に考えると、クレヨンしんちゃん一家のような、両親と子どもがいて犬が一匹いる家族をつくりだすのが常識的なので、自分もいい年頃になれば結婚する。

あるいは、そもそも自分の人生を何のために費やすか?という部分が始めから存在せず、常識的な雰囲気に流されている人も多いはずだ。

誰でも自分は特別だと思いたいはずなので、どうにか自分らしく生きるために、常識や世間体から解放されたいと思う人は実は結構いるはずだが、そうはいっても子どもの頃から植えつけられた常識をそうやすやすと破ることなどできない。

そこで僕が何を考えたか?

常識を、常識思考という一つの思考のフレームワークに格下げしたのだ。

僕には目標達成志向がある。

青臭い話かもしれないが、自分が生まれ育った大阪経済を支えるような、立派な経済人になる、という目標だ。

目標達成志向が常識思考に覆われている人間にとっては、「でも、僕なんてアホの高卒だから…」とでも言って、自分の中にボーダーラインでも作ってしまいそうなものだが、上記の図だと、目標達成志向を決めた後考えることは、「そこを目指してもいいかどうか」だけだ。

ヒトラーのような権力者になり、在日朝鮮人を迫害するなんていうめちゃくちゃな目標を立ててはいけないことは明白だが、大阪経済を支える立派な経済人になる、という目標はいくらでも立ててもよい。

そこで、起業家の9割は10年以内に廃業する…、だとかいう常識なんかは無視したらいい。

たとえ起業に失敗して、極貧になろうとも、そんなことは知ったことではない。

大阪経済を支えるような立派な経済人になるという目標を達成するためには、起業することが絶対条件だからだ。

世間の常識思考に合わせると、起業なんてやめておけとなるが、もはや僕の中には常識など存在せず、常識思考という一つのフレームワークがあるだけなのだから、使いたくなければ使わなければ良い。

論理思考だって使いたくないなら使わないし、感情思考だって毎回使うわけではない。

とにかく自分のビジネスを所有し、そのビジネスを拡大して税金をたくさん納めることを考えればよいのだ。

その結果、他者から痛い奴だと思われたり、常識から外れた行動を取って笑われようが、僕は知らない。

僕は人生を後悔したくはないのだ!

 

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